10月22日に1泊でいった京都旅行のつづきです。
平安神宮の参道で時代祭を観て、終わったのが4時くらい。
宿へいく方向に無鄰菴(むりんあん)があったので、そこで庭を観ながらお茶を飲む。

無鄰菴は山縣有朋の別邸。

静けさと平和は、真実であり、「正義」とは無縁のもの。

幾時代かの争い、殺戮を経て、

ここにあるのは、ただ静けさ。
この頃、よく思うのは、ひとはひとをコントロールしようとしていないか、よく考えてみる必要があるということ。
おおきな情勢のことはよくわからない。けれど、身近でひととの摩擦や悪い感情がおこるとき、それはひとが、自分のエゴや利益のために「正義」をかざして他人をコントロールしようとしているからだと気づく。
大国は「正義」のために小国をコントロールした。そのことにひとが気づくために、なにをしたらいいのだろう。
山縣有朋は天から見ているか。無鄰菴のこの別邸を。ここのみにある静けさと平和が、結局はおのれが去ったあとにのこした真実のものであったと。ほかいっさいは迷妄であると。
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