ヨガ教室:中心軸

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ヨガ教室にあつまった受講生は、わたしをいれて女性ばかりの5人だった。
3人は70代から80代、ひとりはわたしとおなじ歳くらいに見えた。彼女はこのあいだまでボクササイズをやっていて、うちへ帰るとぐったりしてしまうので、こんどはヨガでダイエットしたいとのこと。たぶん、わたしとおなじ歳に見えるのだから、わたしより歳下なのだろう。わたしはわたしの歳を5歳から10歳くらい下だとかんちがいしている。かんちがいをただしい認識にするための鏡もあまり見なくなった。

なぜこんなにしんどい、こんなに頭がはたらかない、とかんちがいを忘れて嘆く。往生際の悪いわたし。そろそろ「老人力」に身をゆだねて三途の川行き舟に乗り、舟ベリに顎をあずけて、光が水面にキラキラ反射するのを、この世界の最高の景色と感じ、たのしむのがいいのだろう。

たとえば陽の光をあびて、川にあそぶ数羽の鴨が、いっせいにちいさく飛びあがり、羽をひろげて水面をかき乱す。そのしぶきと乱れた水面が陽にキラキラと乱反射する光景は、全身が震えるほどにうつくしい。鴨の頭のうえから透明な光のかけらがふりそそぎ、水面にあふれる。水面を打つ羽の動きがほかの鴨たちの羽ばたきと同調する。鴨はあんなに豊かでうつくしい世界にいる。

話を戻そう。
ヨガ教室のひらかれる集会所は、シニアにはちょっときつい階段をのぼっていった場所にあった。三角屋根のちいさな建物は、メルヘンチックな森の集会所のイメージに思える。はいっていくと、熊さんやアヒルさんたちがいて、クケッ、グオッと、森林破壊のことを話しあっているのだ。けれどむろん、階段のとちゅうから見えてきたのは、先生と思われる女のひとだった。どれだけシニアが集まるか心配で、見晴らしのいい場所から見下していたのだろう。

なかにはいると、木の床には、四角い模様のふちどりのある白い木綿のラグが2枚敷かれていた。
バスタオルかヨガマットを持参のこととあり、わたしは2年ほど前に買ったマットを持っていった。ほかにふたりがヨガマットを持ってきていた。うちにあったのだそうだ。
「意外にみなさん、マットをお持ちなんですね」と、先生が驚かれていた。そうだ、わたしも驚いた。
マットではなくバスタオルだったのが、わたしとおなじ歳のひと、いや、わたしよりたぶん若いひとだった。

70代か80代のふたりが、わたしより厚手の立派なヨガマットに座っている。これはゆだんがならない。うちにあった、といいながら、じつは毎日そこで柔軟体操をしているのかもしれない。シニアだから、体操やヨガなどやったことがないだろうと、見くびってはいけないのだ。

1枚のラグのうえにヨガマットを3枚敷く。もう1枚のラグにはバスタオルを2枚。先生は床に直接マットを敷いた。それほどひろい場所ではないが、となりのひととのあいだに空間がじゅうぶんあった。
入り口が開けてあって、そこからすずしい風がはいってくる。あとで気がついたけれど、冷房がわたしの真上の天井にあって、そこから吹きだす冷気が外の風とまじりあい、気持ちのいい温度になって汗ばんだ肌にあたるのだった。

先生の指示にしたがって、足の指から顔の筋肉まで、マッサージでほぐしていく。
「30代、40代になって、わたしも、いままでとはおなじようにはいかなくなってきました」
先生はそういわれるのだから、40代なのだろう。くっきりした目鼻に短い髪が似合いの、5分の1ほどインド的雰囲気のある顔立ちだ。40代のおわりくらいに見えるから、じっさいには40代なかば・・・、いや逆だ、40代なかばくらいに見えるから、40代のおわりくらいなのかな、と思う。・・・うーん、いいかげん、歳にこだわる描写はやめておこう。

太極拳では立禅をしていた。ここではあぐらで座り目をつむる。
せっかちなためか神経質なのか、呼吸を意識するとかえって息がはやくなる。だから太極拳の立禅では、深い呼吸を意識するうち、息が苦しくなってしまうことがあった。

ここでは、あぐらに座って両てのひらをうえに向けて膝におく。やはり息が苦しくなりかけたが、先生のイチ、ニ、サン、シ、のかけ声があり、吸う息を、背骨に沿っておろすうち、呼吸がしぜんに深くなっていった。

フィギュアスケーターの羽生結弦は、スケートでだいじなのはただひとつ、身体の中心軸を決めることだ、といったそうだ。
中心軸ということばをはじめて聞いたのは、「メビウス気流法」の講習会でだったと思う。わたしの気功の先生Qさんが、当時気流法の講座にかよっていて、その特別講座にわたしも2回参加したことがあった。

気流法の講座以前にも、たとえばクラッシクバレーもすこしだけやったことがある。身体の中心軸を決めることのたいせつさは、洋の東西を問わず普遍的で重要なことだと身をもって体感した。
乗馬もそうだ。「お腹がいちばん前にくるように」と指導され、乗馬だけはお尻をつきだすのがただしい姿勢なのだと、はじめはかんちがいした。けれど、太極拳の教室生で、乗馬もヨガもやったことのある男性に、やはり中心軸を決める姿勢は乗馬もおなじなのだと教えてもらった。

お尻をつきだす反り腰はよくない。中心軸をつかむためには、尾骨の先を垂直にしたに向けなくてはいけない。
わかってはいる。
意識のうえでは、お尻をつきだしていないはずなのに、太極拳では姿勢を注意された。もともとの体型というのもあるかもしれないと思うけれど、意識していないときに鏡を見るとたしかに、あ、反っている、と思う。きゅっと直すと、すこしは直る。

家では、全身をうつす鏡をいままでより見やすい場所におきかえた。たいてい背中がまるくなっている。なさけない。きゅっと、直す。直っているのかどうかまでは鏡で確認しない。鏡は廊下にある。遠くから通過するとき一瞬間だけ見る。わたしはそんなにわたしの殻を見たくはない。

さて、ヨガの先生の誘導で、背骨に沿って呼吸を意識し、丹田におろした息をさらにお尻のしたへ、地面へとながすうち、いままでにあまり経験したことのない深い意識の状態がおとずれた。家で瞑想のまねごとをしてみたこともあるが、その比ではない。あまりの気持ちよさに、その先にたぶんあるだろう拡大された意識の爽快感もほの見えた気がした。

これはやみつきになるかもしれない。
ポーズは、猫のポーズをひとつだけ練習した。
心配していた咳は、身体があたたかくなったときに、ふたつでて、これはいけないと、けんめいにがまんした。

風邪をひいてから20日たった。風邪そのものは治っている。食欲もすこしずつ回復してきた。一時的に食欲が落ちていたせいで、夏のあいだアイスクリームでふくらんだお腹がスルスルとへこんできた。ニヤニヤ笑いがとまらない。
いらない脂肪がついてしまった身体は、食欲をおさえることで、わたしのもとの形に戻ろうとしているのだろう。調子が戻ればそこからが、わたしにとっての本格的な秋になる。



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プロフィール

風のミランダ

興味の対象は演劇、映画、文学です。趣味は彫刻、写仏、乗馬など。何十年も生きてきて、話題盛りだくさん、といきたいところですが、あんがい狭い?