「気」的生活:リマからクスコへ

名古屋空港からアメリカ北西部のポートランドまで12時間、そして南東部のアトランタまで4時間、そこからペルーの飛行機で首都リマまで6時間。飛行時間だけでも22時間あまり。乗り継ぎにかかる時間もあるから、行くだけでもたいへんなことだった。

はじめて赤道を越える経験だったけれど、そのあたりがちょうど朝で、機内の温度が急上昇した。赤道だから飛行機まで熱くなってしまうのか。

11月3日の夜に名古屋空港を出発して、朝リマに着いてホテルで昼まえまで寝た。たぶん4時間くらい。起きてから海上のレストランへ行き、そこで撮った写真がある。カメラの自動日付印字があり、いつのまにか出発の2日後の日付けになっていた。寝た時間のことを考えると、通夜でほとんど寝ないのと変わらない。

観光するまえにすっかりくたびれてテーブルについたのに、お酒を注文するひとたちが半数をこえていたと思う。下戸のわたしからすれば、これからいろいろ見てまわらなくてはいけないのに、もうヘベレケになっていいんですか、と思う。けれど、飲めるひとの感覚からすると、これからたのしいことがはじまるのに、飲まないのか? えっ、飲まないのか! といったところなのだろう。
おそらく夫もなにか飲んだのだと思う。白い色をした飲み物で、ひと口飲ませてもらってとてもおいしくて、それで満足したような気がする。(いまどんな飲み物だったか調べてみた。たぶんピスコという酒をつかったピスコサワーだ)

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サンマルティン広場。(バスのなかから撮影)

リマの街の観光は危険なので、ほとんどがバスのなかからだった。1か所だけ、大統領官邸まえのマヨール広場でバスをおりて見学した。ばらばらにならないように、なるべくかたまって、と注意される。時間は10分ほど。プラカードをもったひとたちがいて、フジモリ大統領を糾弾する声をあげていた。記録によればアルベルト・フジモリは、わたしたちが10日間のペルー旅行をおえて5日後に、日本に亡命し失脚している。

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マヨール広場。大統領官邸。

ところで前回のクスコの写真もそうだが、ペルー旅行はすべてフィルムで撮っている。当時はデジタルカメラがではじめで、まだ鮮明な画像ではなく、印刷してもすぐに退色した。

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リマの街。山肌に密集する建物はスラム街だといわれた。(バスのなかから撮影)

リマでは黄金博物館を見学。翌日、飛行機でクスコへむかう。

1-613.jpg クスコに近づいてきた。山肌が赤い。

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雲が赤い山肌に濃い影をおとしている。見慣れない風景に胸がおどった。海外旅行の経験があまりないので、眼下にひろがるこの景色は地球ではないような気がしてくる。もし、これが地球なら、太古の地球が露出しているのだ。
クスコの空港は離着陸がむずかしいと聞いていた。こんなに山がちかくて、ぶじ着陸できるのかと不安でもあった。

クスコでは、サントドミンゴ教会(コリカンチャ/太陽の神殿)を見学。
ところで、このときはまだわたし専用のカメラを持っていなかった。気にいったものをそれぞれ交替で撮っていた。景色はわたしが写したときのほうがおおい。こまったことに、このころは人物をいれて撮ることがおおく、なかなかブログ用のいい写真がない。しかもフィルムだから、いまよりはずいぶん写真を撮るのをケチっている。

撮ったものを見ていると、もっといいカメラでもういちど撮りたい、という思いにかられる。とくに標高の高い場所での空気の色が好きだ。紺碧の空、まっしろの雲、そして赤茶けた大地や遺跡の石、そのコントラストが郷愁をさそう。

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サクサイワマンへむかうとちゅう。バスのなかから撮影。

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サクサイワマン遺跡。15世紀に建設された。
16世紀、スペイン人からクスコを奪還するためにインカ軍がこの遺跡に拠点をおいた。いまはインティ・ライミの祭りがおこなわれる。

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クスコの街を歩きながら、ふたたび既視感におそわれることはなかった。
ただ空想好きゆえに、こんなことは考える。
むかし、わたしはクスコに住んでいたのだろうと。旅のまえにテレビを見ていて、クスコの街ぜんたいにおおいかぶさった思いは、いとおしいという感情だった。たまらなくいとおしい。いとおしさがひろがって街に同化していた。

現実に既視感はなかったものの、サクサイワマン遺跡のちかくにバスを停めた場所がみょうに記憶にのこっている。たいして特徴のある場所ではない。遺跡の石組が見えていたと思う。赤茶けた地面にはえた草、そして樹木がそばにあった。こんなところに来てしまった、現実にいまここにいる、という奇妙な思いがあった。

そしていま、ここをインカ軍がクスコ奪還のための拠点とした歴史を考えると、わたしがクスコの街をいとおしくてたまらない理由が腑におちるような気がする。ただし、わたしが闘いの現場にいた実感はなく、むろん現在も、勇猛さとはほどとおい性格だけれど。

現実にもどろう。

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プカプカラ遺跡で。ケチュア語で赤い城砦という意味。遺跡のちかくで地面に土産物をひろげて売っている。

1-614.jpg タンボマチャイ遺跡。インカ時代の沐浴場。

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夜、クスコのホテルで。夫が頭痛のためにうつろな顔で酸素吸入をしている。ボンベにはもう酸素はほとんどなく、あたらしいボンベを持ってきてくれることもなかった。けれど、寝られないほどの頭痛ではなかったようだ。
《(注)頭痛ではなく、呼吸がくるしかった、とあとでわかった》

翌日は、いよいよマチュピチュへむかう。

(つづく)
注:つぎの記事は乗馬です。そのつぎにマチュピチュの記事を予定しています。

コメント

Fermat

22時間ですか……(遠い目)。もう、それだけでギブアップしそうです。飛行機、ものすごく苦手なんです。ヨーロッパは好きだけど、13時間の飛行時間が大きな壁で、まだ遊びでは行ったことないです。
酸素ボンベが巨大で圧倒されました。すごいとこ行ったんですね^−^;

でも、フィルムの色、とてもいいですね。やっぱりフィルムはいいなあ。乾燥した空気のせいもあるんだろうけど、青がとても深い。コダックかな?

風のミランダ

Re: タイトルなし
Fermatさん、コメント、ありがとうございます。v-254

いずれ書くつもりでいましたが、わたしも飛行機は苦手なんですよ。Fermatさんはお仕事でいやいや連れていってもらいましょうね。(^-^)

あの酸素ボンベは、国の違いを感じさせますね。

フィルムは、フジのアーサー400です。カメラは、一眼レフと間違えるくらいごつかったんですが、たしか壊れたかなんかで、今はもう手元になく、メーカーもおぼえていません。

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というか、そんなに本気で酸素吸入しないと、平地人にはアブナイとこなんだなあ……と。よくあるヘアスプレー缶みたいな形状の、携帯型酸素ボンベを想像してました……^−^;

風のミランダ

Re: タイトルなし
Fermatさんへ

ホテルに備え付けの酸素ボンベで、何人もが使う量です。わたしがバスのなかで酸素吸入したときは、ヘアスプレー缶くらいの大きさだったと思います。それで十分効きました。
酸素吸入するひとは、ごくわずかでした。バスを途中下車して医者にかかったひとがひとり、バスのなかで酸素吸入したのはわたしだけだったような・・・。
クスコから標高の低いマチュピチュへ行き、またクスコへ帰ったときには、クスコの標高には慣れたと思います。
平地人もいずれ慣れます。が、ちょっとハードな体験は、それなりに効果があったようで、それはまた書きます。
ところで、写真を調整しなおしました。現在、ネガフィルムから直接とったデータを使ったものに入れ替えてあります。最初のと、ちょっと雰囲気が違うと思います。

(コメント欄のお名前のだいじなところが欠けています)(^-^)

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プロフィール

風のミランダ

興味の対象は演劇、映画、文学です。趣味は彫刻、写仏、乗馬など。何十年も生きてきて、話題盛りだくさん、といきたいところですが、あんがい狭い?