片づける:初期作品

片づけの魔法の近藤麻理恵氏の本が米アマゾンで1位になったという。
本は読んでいなくて、テレビやネットのニュースでのみの感想になるけれど、断捨離ブームのなかにあって近藤氏が光るのは、「魔法」と「ときめき」というふたつのキーワードがあるからだろう。

モノを捨てるか捨てないかは、そのモノにさわって自分がときめくかどうかで判断する。画期的だと思う。
わたしもブログを書くまえに、まず片づけをしなくてはいけない、といつも思っている。
家はモノにあふれている。買った洋服は捨てればいいけれど、自分がいままで作ってきたモノについては、ときめくかどうかさえわからない。

モノは、彫刻作品、人形、セーター、洋服など。
こまったことに、それを作る道具、材料など、すべてが整理しきれずにそのままだから、気がめいる。彫塑の型取りで雌型までとったのが何体かあって、それといっしょに寝ているから、目に見えない石膏の粉がしじゅう飛んでいるかもしれず健康にもよくない。

もともといまのわたしの部屋はアトリエにするつもりだったので、ふつうの部屋のふたつぶんくらいの広さがある。彫塑の雌型はベッドとは反対の部屋の隅においやった。中年夫婦の5割が寝る部屋が別だという例にもれず、何年かまえにわたしが腹をたててアトリエにベッドを移したので、以来ゴミや埃と寝るはめになったのだ。腹をたてたわたしがわるい。寝いりばなをあとから寝室にはいってくる足音でおこされて寝るタイミングをうしなう、と腹をたてた。いまではわたしのほうが、寝るのが遅い。

ところで近藤氏によれば、作品は写真を撮ってから捨てるとのこと。
たしかに、彫刻作品はへたなのが目につくようになると、写真を撮ってどんどん捨ててきた。
ところが、人形作品は、へただとわかっていても捨てられない。人形にさわってときめくか、といえば、ときめくよりさきに動揺する。なぜなんだろう。人形には魔力でもあるのか。たしかに、作っているときは、その魅力にはまった。

もともと、彫塑の型取りで、FRPにも漆にもかぶれるので、なにかいい素材はないかと人形教室の門をたたいたのが、人形作りのはじまりだった。人形を作りはじめたのは2002年頃だったと思う。2年か3年ほどふたつの教室にかよい、あとは家で作っていた。『ドール・フォーラム・ジャパン』という雑誌に投稿したりもした。その雑誌が廃刊になるとのことで、最後に人形展が企画され、そこに出品した。それが2007年。

人形展は府中市で開催された。わたしは人形作品の搬入のため会場へ行った。そして、ほかのひとたちの作品を見て衝撃をうけた。マニアックなまでの人形愛。人形にかたむけるエネルギーと情熱がけたはずれなのだった。わたしには決定的に欠けているものがあった。人形への愛だ。わたしは、かれらほどの愛を人形にそそぐことをしていない、と思った。以来、人形作りはぷっつりやめた。

だから、過去の作品を見ると動揺する。もうしわけない気持ちになる。

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三つ折れ人形。胡粉仕上げ。

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はじめて作った球体関節人形。球体関節は自立しなければならない。いちおう自立する。

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かわいいエプロンドレスを着ていたのだけれど、なぜか裸でしまいこんであった。ドレスが見あたらない。顔を粘土で作り、そのうえに左は綿、右は絹をはったもの。胴体と足は綿がつめてある。

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顔も胴体も、先生の手がはいっていない。先生に人形の型紙をもらい、それをもとに作る。
顔、身体は、ふつうは先生の手がはいるので、生徒の作品の顔を見ると、その先生に習ったのだとわかることが多い。
たいてい、「先生、顔描いてえ」と生徒はいう。身体はまだいいのだけれど、顔を描きいれるのが、失敗すると嫌だからだそうだ。
わたしは顔こそ自分の作品である証なので、先生に頼らなかった。嫌な生徒だったかもしれない。

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球体関節人形とはどのようなものかという見本のような作品。仕上げが雑。

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球体関節人形に着物を作って着せた。着物を着せるなら、球体関節である必要はないな、と思った。身体が固いので、着物が着せにくいのだ。

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赤い腰巻きが見えているのが色っぽい。

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球体関節にはふつうは市販のガラスの目玉をいれるけれど、これはおもちゃの真珠玉に色をつけて作った目玉。

おもしろいことに、人形の顔は作者に似る。彫刻作品についても、似ることがある。たとえば舟越桂の顔の作品は舟越桂氏によく似ている。
他人が見たら笑えるくらいに作品が作者に似ているのに、なぜか当の本人はそのことがわからない。

おととし作った彫刻作品の首も、モデルさんにも似ているけれど、わたしにも似ている、といわれた。どうしても、それがわたしにはわからない。ふしぎだ。

彫刻ですら作者に似ることがあるのだから、人形なんて作者そのものだ、と他人の作品については思う。けれど、やはり自分の作品についてはそれがわからない。どうしても、わからない。にんげんの脳はいったいどうなっているのだろう。

自分の顔を毎日見ているのだから、作品が自分に似るのはあたりまえ、というひとがいる。それも一理ある。けれど、それいじょうにふしぎな作用が作品にはたらくような気がしてしかたがない。

今回の作品は、初期のもの。紛失したものもある。やれやれ、どこにしまいこんだやら。次回はいつになるかわからないが、それ以後の作品を載せたいと思う。

コメント

Fermat

ほんとに、そうですね。自分の書いた文章は、いいんだかわるいんだか、すぐわからなくなります。少し時間が経って、何を書いたか忘れた頃に読み返すと、「あれ、けっこういいじゃん」と思ったりするのですが……。ほんとに、人間の脳は不思議です。

一番上の写真の人形、いいなあと思いました。写真の具合かもしれませんが。
一番下の和装の人形の顔も、美しいです。確かに、これを捨てるのは難しいですね。ときめくより、動揺するというの、わかる気がします。作った過程の逆をたどって、元の粘土と布に戻すとか……?

風のミランダ

Re: タイトルなし
Fermatさん、こんばんは。

コメント、ありがとうございます。v-298

一番上の人形は、5歳くらいの設定です。目がガラスではなく手描きで、いま見ると目のあたりのつくりが下手です。髪型のバランスも変です。が、これはわたしも好きで、このなかで唯一、いつも見えるところに鎮座しています。
一番下のも好きな人形です。18歳くらいの設定です。日本人顔のほうが表現しやすかったかなと、いまは思います。

文章は、人形以上に出来不出来がわかりません。とくに小説がわからないです。時間がたつと読み返すのが怖くて、それができません。いずれまとめたいと思うときがくるのでしょうが、そのとき読み返すのだろうかと思うと、もう動揺どころではなく、心臓がくるしくなります。
ただ、おっしゃるように、時間がたって自分のを読み返したときに、なかなかいい、と思ったりすることはありました。逆に、こんなにうまくもう書けないと思ってプレッシャーになったり・・・。^-^;;

ein-apfel

また、みんなとワイワイしたいw
作品を捨てるの~。その前に、私に相談して!!
人形は、ミランダさんに見つめられているみたいで微妙だけれど、彫塑は、ほしいし~。と、思いながら読み進んでいくと、顔が似る話に。そう、雰囲気はミランダさんそっくり。
今度、断捨離についても語りたいですね。なかなか、気持ちばかりで瀬戸まで行く元気が出ませんが!!

風のミランダ

Re: また、みんなとワイワイしたいw
ein-apfelさん、こんばんは。

コメント、ありがとうございます。v-298

作品はまだ捨てません。人形の材料を捨てるかどうしようか決心がつかず、悩んでいます。彫刻は古いのをまたひとつ捨てますが、それは下手なのでさしあげるほどのものではありません。彫刻作品、欲しいとおっしゃってくださって、うれしいです。(*^-^*)

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プロフィール

風のミランダ

興味の対象は演劇、映画、文学です。趣味は彫刻、写仏、乗馬など。何十年も生きてきて、話題盛りだくさん、といきたいところですが、あんがい狭い?