「気」的生活:ペルー

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2000年はいろんなことのあった年だった。
生きていて、くるしいことはたくさんある。けれど、弟がこの年に重いうつ病になったのは、くるしいことのたくさんあるなかでもつらいことだった。5月のはじめに母から電話で、弟が会社へ行かずに寝こんだままだと知らされた。それまでにも兆候があったので、セントジョーンズワートのサプリメントをあげたことがあった。わたし自身軽いうつなら何度も経験している。
もっと適切なアドバイスができればよかったが、どうしたらいいのかわからなかった。

弟には休養が必要だった。休日がすくないうえに休みが自由にとれず、通勤時間がながく、勤務は昼夜交代制。昇進した直後。無理に無理をかさねて、ある朝、どうにも起きられなくなったようだ。

母から電話をうけて、デパートの地下でサクランボを買い、実家へ行った。
弟は2階の部屋で寝ていた。サクランボを洗って弟の部屋へ持っていった。そのときの弟の顔をあまり思いだせない。それ以後にもっとやせたときがあったし、細部まで思いだそうとすると、わたしのなかで制止がかかる。
ベッドに上半身起きあがった弟と1時間ほど話しをした。弟はひとこともしゃべらなかったし、サクランボにも手をださなかった。

その後病気のために自然退職になった弟は、よくなったりわるくなったりを繰り返して8年後に、とつぜん脳膿瘍で死んだ。まだ40代だった。

近いひとが死ぬたび、わたしの頭はあちらの世界へとはみだしていく。いま見えている現実よりも、見えないけれどなにかリアルと感じられるものを探しもとめるようになる。
それ以前から、見えないもののなかにリアリティを見る傾向があったことはたしかだけれど。

歳をふるごとに現実が夢であるとますます思うようになった、とある作家が書いていたとおりのことが、いまわたしにもおこっている。意識の割り合いが、見えている現実よりも見えない現実にさらにシフトしている。

そうはいっても現実に生活しているので、見えている現実がそれほど変わるわけではない。
むかしは、ひとはそうかんたんには死なないものだと思っていた。いまはちがう。うっかりすると、ひとはすぐ死ぬ。見えている現実が、その一瞬さきとおなじ現実だというのは思いこみでしかない。そして、いま見えている現実、その一瞬一瞬が、宝物のような奇跡に思えてくる。

おなじ年の11月、夫の提案でペルーへ旅行することになった。
空中都市のマチュピチュへ行くという。おどろいた。生きているうちにそんな夢のような場所へ行けるとは思ってもいなかった。空中都市ということばから、そこはぽっかりと空中に浮いている島のイメージがあったからだ。そこはそもそもあの世ではないのか。

旅行説明会にでて話を聞き、具体的な日程を決め準備をするうち、マチュピチュはようやくのこと空中からおりてきて、ぶじ山の頂上に着陸したようだった。

そんなころにたまたまテレビでクスコの街が映っているのを見た。ペルーの旅でおとずれる予定の街だ。テレビカメラはクスコの街が見渡せる眺望のいい高台にあった。周囲を山にかこまれた、そのなにか赤茶けたような建物がひしめく街を見たとき、既視感がおこり、胸のまんなかからあつい思いがとびだしてクスコの街ぜんたいにおおいかぶさったようだった。

そのころ弟がどんな状態だったか思いだせない。義理の叔父の葬儀にでて、抗うつ剤のせいでやたら汗をかいていたのもその年だったような気がする。ベッドに寝たまま動けないという状態からはとりあえず回復してはいた。
わたしだけが旅行へ行くことへのひけめがあり、弟に土産を買ってこようと思った。高校のころ弟は、わたしが弾けずになげだしたアコースティックギターを引っぱりだしてきて熱心に弾いていたし、大学のときはフルートを吹いていた。ペルーにはアンデス地方の民族楽器がある。そうだ、縦笛のケーナがいい。・・・そんなことくらいしか思いつかなかった。

ペルーの旅はトラブルつづきだった。危険情報もでていた。夫の母とわたしの父はそんなあぶない辺境の地へ行くといって怒ったし、わたしのかかりつけの医者も体力を考えないといって怒った。
たしかに夫は標高3400メートルのクスコのホテルで酸素吸入をした。酸素吸入をするひとが多かったせいか、夫がつかった酸素ボンベにはもう酸素はほとんどのこっていなかったが。わたしもつぎの日、標高4000メートル付近でひどい頭痛におそわれ、バスのなかで酸素を吸入した。男性のひとりが状態がわるくなってバスをおり、病院へ行ったし、ベテラン添乗員のわかい女性はその対応であたふたして、やはり高山病になり、その夜の食事はアマランサスのスープしか飲めなかった。

標高の高いところでは、急激に動いてはいけない。ゆっくり動き、ゆっくり呼吸する、それが高山病にならない秘訣で、たしかに、わかいひとのほうが青ざめて食欲をうしない、もともと動きの緩慢な老人ほど元気だった。

トラブルつづき、ということに話しをもどそう。
出発の日、名古屋空港で、アメリカの航空会社の飛行機に乗った。飛行機は予定の時間になっても飛ぶようすがない。しばらくしてエンジントラブルのため修理するとのアナウンスがあった。せまい座席におしこめられて、これから12時間ほども空中を飛びつづけるのに、エンジントラブルを修理した飛行機をつかう、ということにおどろいた。
添乗員は成田から出発した一行についていて、アメリカのポートランドで合流することになっていた。連絡がとれない。こころぼそいことこのうえない。機内でさんざん待ったあげく、飛行機をおりて空港の待合室でさらに待つことになった。

トラブルを修理したその飛行機に乗ったのは、予定を3時間ほどすぎたころだったと思う。さらに怖いのは、そんなに遅れても、飛行時間を短縮できる、つまり速度をあげられる、ということで、ポートランド空港に着くころには、たいした遅れではなくなっていたのだった。

さて、これから15年前にさかのぼって、撮った写真の横に書いた雀のフンほどのわずかなメモしかない状態で、ペルーの旅のことを書こうと思う。それほど詳細に書くつもりはなく、記憶もあいまいで、事実とはちがうことがあるかもしれない。わたしが「『気』的生活」でつたえたいと思うことはただ1点、マチュピチュの日時計のことだ。けれど、頭のなかがどこかへ泳ぎだしていく気もするので、例によってとりとめのない話になるだろう。
とくにペルーへ旅にでたいと思っているひとには、まるで参考にならないので、ご承知おきねがいたい。



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クスコの街


コメント

Fermat

マチュピチュですか。行ってみたいなあ……。楽しみにしてます。ワクワク^−^

風のミランダ

Re: タイトルなし
Fermatさん、こんばんは。

コメント、ありがとうございます。v-297
ほとんどトラブルの記憶しかないし、記録もないし、どれだけ書けるかわかりませんが。ペルー、いいところでした! 歳をとってからのほうが高山病にかかりにくくていいかもしれませんよ。(*^-^*) 歳をとりすぎると逆にきついかもしれませんが。(^-^)

こもも会長

おひさしぶりです。

楽しみに読ませていただいてます。


実は先日ミランダさんが行ってる乗馬クラブに行ってきました。

また行きたいと思っています。

会えるといいなあ。

風のミランダ

Re: タイトルなし
こもも会長さん、こんにちは。

コメント、ありがとうございます。v-254

いつもお読みいただいているとのこと、うれしいかぎりです。
騎乗もされたのでしょうか。お気に入りの馬ができるといいですね。わたしが騎乗するのはたいてい平日の午後です。もし、見かけたら、お声をかけてくださいね。(^-^)

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風のミランダ

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ありがとうございます。v-254
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プロフィール

風のミランダ

興味の対象は演劇、映画、文学です。趣味は彫刻、写仏、乗馬など。何十年も生きてきて、話題盛りだくさん、といきたいところですが、あんがい狭い?