『37日間漂流船長 -あきらめたから、生きられた』 石川拓治著

『37日間漂流船長 -あきらめたから、生きられた』 石川拓治著

2001年7月、長崎の漁港をでた漁船(繁栄丸)が、出航してまもなくエンジントラブルで操縦不能になり、銚子沖800㎞まで流され、救助されるまでの37日間を描いたノンフィクションです。

おおきな船ではありません。武智氏が中古で買ったちいさな漁船です。木造からFRP(プラスチック)に切り替わった頃のモデル船(1971年製)で、FRPがやたら分厚く、そのせいで揺れやすく漁には不向き、頑丈なだけがとりえ。
・・・武智氏の世渡り下手な、けれど誠実な人柄を思わせる漁船です。

積んでいた食糧がなくなり、水がなくなり、やかんに海水をいれて沸騰させ、やかんの蓋についた水滴を飲み、やがては火をおこすガスボンベもなくなり、ついに死がおとずれようとしていた、その過程が、克明に緊張感あふれる文体で描かれています。

海鳥が照明をとりつける鉄のパイプにとまっている。パイプが焼けて熱いのか、とまっている片足をときどき代えるなどの、細部のていねいな描写。イルカがやってきたり、釣りをしたり、幻覚を見たりの、非日常がたのしめる情景もあります。

ところで、この本を手にとったのは、「あきらめたから、生きられた」という逆説的な表現に惹かれたからでした。
じつは、怖がりのわたしは、茫漠とした海のうえで、たったひとりで食糧も水もなくなっていき、ただ死を待つばかりの極限状況を描いた読み物は苦手です。もし、この種の映画があったら、しんどくて、とても見る気にならないでしょう。(『タイタニック』が見られなかったように)

ところが、「あきらめたから、生きられた」というフレーズから惹起されたのは、悟りきった修行僧が大海の孤舟でひとり、流されるままに恬淡としてそこにある、奇妙にも爽快な風景でした。

生をあるがままにとらえたところにある晴明な宇宙観とでもいうものに出会えるかもしれない、と期待しました。
そして、それに、たしかに出会えた、と感じました。

武智氏は、仏教講話を聞くのが好きだったという素養があったにせよ、はじめから悟っていたわけではありません。
いのちをつなぎとめるもの(食糧、水)がなくなっていく、ひとつひとつ手放していく、その過程において、悟りの境地がひらかれていきました。が、手放す過程で恐怖感がないのはふしぎなことです。

荒波にもまれる船を陸から見ているとたいへんなようだけど、荒波のなかにいるものにとってはそれほどたいへんとは感じないものだ、という武智氏のことばは、納得がいきますが、それにしても、稀有な精神です。

著者の石川氏は、武智氏のそのような精神のありようを、おさないころの武智氏の両親との関係をうまく配置することで、あきらかにしていきます。

それにしても、以前読んだ石川氏の著書『奇跡のリンゴ』では、意識にのぼらなかった氏の、取材する力に圧倒されました。
取材する対象を見つける力、その対象から引きだす力、その親和力と忍耐と。
さらに、自分の見解、世界観と、対象者の世界観とをどうからみあわせるか。その立ち位置のむずかしさ。けれど、それをすこしの齟齬もなく、自然に読ませてしまう構成力がみごとです。

さて、シーアンカーです。
海中にしずめてつかう傘のような形状の道具で、船の角度を波にたいしてつねに垂直にたもつ役割をします。わたしは、はじめてシーアンカーの存在を知りました。

繁栄丸が台風にあったときの印象的な記述があります。
「大空と大海は凶暴な怒りに支配され、繁栄丸という異物を木っ端微塵にしようと躍起になっていた。その荒れ狂った世界で唯一、海中で天使のように羽をひろげたシーアンカーが繁栄丸を護っていた。暴風と波に揉みくちゃにされながらも、繁栄丸が1枚の木の葉のようにクルクルと転げ回らずにいられたのは、ひとえにその守護天使のゆえだった」

ここだけ取りだしても、この文章がもたらすふしぎな効果はおつたえできないでしょう。けれど、わたしには「天使」という表現は衝撃でした。
そのシーアンカーはどんな色だったのでしょうか。鈍色の荒れ狂う大海の記述があったはずなのに、「天使」のことばを目にしたとたんに、ふしぎに海はなぎ、はてしなく青い空と青い海と、そこにある白い繁栄丸と、そしてその下でロープとつながる白い羽をひろげた天使が、見えたように思いました。
広大な空と海にたいして、漁船と天使はひどくちいさいのですが、青と白のコントラスト、これはほんとうに愛にみちた光景です。

台風が去ったのち、水滴すらなくなり、自分の尿をすこし舐めるだけの状態となって死を覚悟した武智氏が、そんなときでも楽しみがあったと語ります。漆黒の夜空にある無数の星のきらめきを、畏怖と感謝の気持ちでながめていたと。

まだいのちを保てていることのよろこび。そして、それまでの自分のいのちが、両親やまわりの人たちに支えられたものであったと思い、感謝の気持ちがあふれました。「俺は独りじゃない」と。

おおいなるものに支えられ、まもられている、その武智氏の気づきに、前述された守護天使の絵がオーバーラップし、宇宙的規模の深い慈愛を感じました。

最後に、もうひとつ印象的だったのは、
「あきらめる」です。
武智氏は語ります。あきらめる、とは仏教のことばで、あきらかにする、あきらかに見る、ということだと。
たとえば、水がもうない、ということを自分にあきらかにする、納得する。あきらめたうえで、とりあえず、できることをする。

「とりあえずでいいじゃないの。とりあえず、魚釣ってみた。とりあえず海の水を沸かしてみた。・・・あきらめて、あきらめて、とりあえず何かやって、あの37日間を生き抜いたんだもの。頑張りつづけていたら、きっとどこかで、俺は息切れしちゃってたと思う」

修行僧のようだったと武智氏も語っていますが、含蓄あることばです。
がんばらない、ということは、おそらくおおいなるものに自分をゆだねることなのでしょう。ことばの表面的な意味だけで、
「他力本願」を嫌い、「自力本願」でいくのだ、という人がいますが、じつは「他力本願」には、「自力」よりはるかに深い意味があります。

あきらめる、あきらかにする、あきらかに見る。そして、とりあえず今、できることをする。
「とりあえず、する」その行為には、敬虔で清澄な意思があります。

冒険譚とはかけはなれた深い気づきをもたらしてくれるこの本に、出会えたことに感謝します。



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(友人のガラス作家、和田まひなさんの作品です)





コメント

t.ishikawa

身に余る言葉に、胸がいっぱいになりました。一昔以上も前に書いた本ですが、そのときのことがありありと思い出され、もっといい仕事しなきゃなあと、近頃の自分を省みて、情けなく思いました。なんか目が濡れて、今は言葉が紡げません。ほんとうに、ありがとう。また。

風のミランダ

Re: タイトルなし
t.ishikawaさん、こんばんは。

よろこんでいただけて、わたしもほんとうに嬉しいです。v-254
ご本人に読まれるから、良く書いておこう、という気持ちはまったくありませんので。感想はわたしのすなおな気持ちです。
感動なさったのは、ishikawaさんが、感動する作品を書かれたからです。これからも、ご活躍をお祈り申しております。

シンクロニシティについて。
解説を読んで、うまいなあと思い、ひょっとしてishikawaさんのご兄弟かしらと思い、調べました。すると、解説のかたが、わたしの父と同じ誕生日なのがわかり、かなりびっくりしました。
というのも、ishikawaさんがわたしの母と同じ誕生日だというのがすこし前にわかっていたので。これだけでもびっくりなのに・・・。なぜ、この本の著者と解説者の誕生日が、わたしの両親の誕生日と同じなのでしょう!!!
(母の誕生日は届け出た日付の戸籍上のものと、実際に生まれた日とがありますが、実際に生まれた日がishikawaさんと同じです)

t.ishikawa

驚きました。そういうことって、あるんですね。そういうことが、どういうことか、まったく見当もつきませんが。しかも、どちらも石川だし……。石川直樹さんは、有名な方ですが、実はぼくはまったく面識がありません。解説に石川直樹さんを選んだのは、この本を、文庫化したいと僕に言ってきた、担当編集者でした。

風のミランダ

Re: タイトルなし
t.ishikawaさんへ。

誕生日が同じだったり、1日違いだったりは、よくあることですが、ダブルで同じというのは、はじめてです。
これは強力なサインでしょうか。(笑)いずれにしても、これはわたしに対するサインであって、ishikawaさんにご迷惑がかかるようなものではありませんので、ご安心ください。
「おなじ石川」ということでいえば、わたしは石川淳を敬愛していて、絶筆となった『天門』の書評を書いたことがあります。おそらく大家の書評をだれもやりたがらなくて、新人に回ってきたのでしょう。

t.ishikawa

むむむ、それもなんかすごい縁ですよね。すでにご存じとは思いますが、石川直樹さんは、石川淳のお孫さんなわけで……。なんだろう、これは。

風のミランダ

Re: タイトルなし
t.ishikawaさんへ。

思わず悲鳴をあげました。それはまったく存じませんでした。
やっぱり石川淳が一番好きですか、と編集者にいわれたくらい、大好きでした。
たった一度だけ、書評を書かせて頂いたのが『天門』だったわけで・・・。ちょっと震えがとまりません。

t.ishikawa

そうでしたか。
僕が言うまでもないこととは思いますが、そのサインの意味は明白な気がします。

風のミランダ

Re: タイトルなし
t.isikawaさんへ。

20年間、日記すら書かない生活で、すっかり錆びつきました。情熱もありません。が、「とりあえず」ブログを書きます。

t.ishikawa

今、ふと思いました。枕草子も更級日記も、考えてみれば、ある種のブログですものね。

風のミランダ

Re: タイトルなし
t.ishikawaさんへ。

今はだれでも自分の書いたものを活字で読める時代ですね。昔とは隔世の感があります。

t.ishikawa

とりあえずのブログ、これからも楽しみにしてます。しかし、不思議なことはあるものです。宇宙は一筋縄では行きませんね。

風のミランダ

Re: タイトルなし
t.isikawaさんへ。

ありがとうございます。プロの目が光っている、と思うと、緊張します。ともすると、いいかげんな書き方をしがちですが、ちゃんとした文章を書かなくては、と、良い刺激になります。そして何より、読んでいただけることが嬉しいです。

これからも、お気づきのことがあれば、ビシバシご指摘ください。

不思議なことはいままでにも、ときどきありました。宇宙はどれだけ精妙なしくみなのだろうと感嘆します。
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プロフィール

風のミランダ

興味の対象は演劇、映画、文学です。趣味は彫刻、写仏、乗馬など。何十年も生きてきて、話題盛りだくさん、といきたいところですが、あんがい狭い?