『ハムレット』マイケル・アルメイダ監督 2000年
DVD
ハムレット:イーサン・ホーク
シェイクスピアの『ハムレット』をニューヨークにおきかえての現代版である。
原作ではデンマークが舞台だが、この作品ではデンマークという大会社で、ハムレットはその御曹司だ。
会長の父の死のあと、叔父が会長に就任し、母と結婚する。
ハムレットは父の亡霊によって、叔父クローディアスが父を殺害したことを知り、復讐をはかる。
基本的なストーリーは変わらない。カットされた台詞は多いが、内容はほとんど変わっていない。ただ、現代米語の台詞(だと思う)ではある。
亡霊がでる場面は超高層の建物内であり、父の亡霊とハムレットは、別れのときにハグもする。
ハムレットは毛糸の耳あてつきの帽子をかぶり、レンタルビデオ店に出入りもする。
オフィーリアはくちゃくちゃガムを噛んでいたりもした。
しかし、まったく違和感がない。
ポローニアスの死体は、頭を銃で撃ち抜かれていて、なかみがとびだし、あたりは血にそまっている。
これは舞台では見られないリアルさだ。
ハムレットが、銃口を口にいれる、こめかみにあてる、To be or not to beと、その場面を自分で同時にモニターで見ながら、くりかえす・・・銃口を口にいれたり、こめかみにあてたりと。
ハムレットの絶望と放心がつたわってくる場面である。
イーサン・ホークのモノローグがソフトで、繊細で、とてもいい。台詞が音楽のように響いてくる。
舞台では見られない細部、人物がその台詞によってどういう動きをしたか、というところで、解釈が明瞭にわかるところがいくつかあっておもしろかった。
オフィーリアの狂う場面もみごとだし、母親ガートルードがエロティックさや誇り高さや、苦しむ姿など、いくつもの顔を見せるのもみごとだった。
ガートルードは最後、ハムレットとレアティーズの決闘の場面で、夫クローディアスの奸計に気づき、みずから毒杯をあおってハムレットを守ろうとした。それも新解釈でリアリティがあった。
決闘は、フェンシングではじまり、途中から銃撃戦になる。瀕死のレアティーズが瀕死のハムレットに、首謀者はクローディアスだと耳打ちする。ハムレットは最後の力をふりしぼって仇、クローディアスを撃つ。
泣ける場面だった。
ちょっとだけでてくるノルウエー社のフォーティンブラスは、ばか息子っぽくて、笑えた。
上映時間112分。以前にも書いたが、上映時間がこれくらいのものは、よくまとまっていて、冗長さもなく、すぐれた作品が多いと思う。
さて、この作品、5月に東演がベリャコーヴィッチ演出の『ハムレット』を上演するにあたり、
では、いろんなバージョンのを観てみましょう、ということで、名演の会議室で観たのだった。
そのあとで、1948年、ローレンス・オリビエの『ハムレット』もすこしだけ観た。
こちらは白黒映画で、ローレンス・オリビエは強いハムレットを演じていた。
亡霊が地の底から「誓え」というところで、その声が原作では移動して、ちょっとおもしろい場面でもあるのだが、この作品では生真面目さがきわだっていた。わたしはここで帰る時間が気になっていたせいもあって、観るのをやめた。
イーサン・ホークのハムレットのほうが、わたしの持つハムレット像にぴったりだった。
弱く、迷うハムレットのほうが、強いハムレットよりしたしみやすい。
たぶん、人は、弱い自分の投影を芸術作品に観たいからではないだろうか。
強い自分の投影は、芸術作品として成立しにくような気がする。
が、明確なメッセージをだしたい場合は、強い投影もありなのかもしれないけれど。
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