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『アンチゴーヌ』ジャン・アヌイ作 観劇感想

(ひと月前に観た演劇の感想を、今ようやく書こうと思う。書くのがむずかしいかな、と思って、のびのびになってしまった。これ以上のばすと、わたしの頭のためにならない。すなわち、なんで感想書くの?と聞かれたら、もうもっぱらボケ進行を少しでも遅らせたいための哀れな抵抗なんで)

2月18日 穂の国とよはし芸術劇場PLAT
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
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『アンチゴーヌ』はジャン・アヌイ作。1940年代ナチ占領下のフランスで、ソポクレスの『アンティゴネ』をもとに現代劇として蘇らせた作品である。
ギリシャ悲劇を観に行くの? と聞かれて、うまく答えられなかったが、パンフレットには、栗山民也氏の解説があり、両作品は「キャラクター造形も異なるし、姉妹の設定にも細かく手が加えられている」とのこと。

昨年観たラシーヌ作『フェードル』は、17世紀の作であり、ギリシャ悲劇に材を得ていて、観たかぎりでは、ギリシャ悲劇そのものと思えた。
(そのときの感想→『フェードル』

今回も訳と演出は同じ岩切氏と栗山氏だが、『アンチゴーヌ』は現代不条理劇とでもいうもので、コロスの中心となる人物は、ナチの制服を思わせる衣装の女だった。

(あらすじ)
アンチゴーヌ(蒼井優)はオィディプス王の次女である。父王亡きあと、王位を継いだのは母方の叔父クレオン(生瀬勝久)であった。アンチゴーヌは、反逆者として野ざらしにされた兄を弔ったため、捕らえられる。
一方、クレオンの息子とアンチゴーヌは婚約していた。クレオンはアンチゴーヌの命を助けるために、それ以上弔うことをやめるよう彼女に迫る。
しかし、アンチゴーヌは、決然と死を選ぶのだった。

(舞台装置)
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通常の舞台は幕で閉じられている。かわりに、観客席の前半分にクロス状に舞台が設置され、観客席がそれを取り囲む形である。(わたしの席は中央寄りの2列めだった)

(感想)
ナチ占領下での作品であることを考えると、アンチゴーヌが体制や圧力、支配を象徴する叔父クレオンに従わなかった理由は判然とする。が、脚本の書かれた時代背景を重視しすぎると、多くを見落とすことになるだろう。
クレオンは、姪のアンチゴーヌに「俺におまえを殺させるな」と嘆願する。優柔不断、矛盾と苦渋にみちた、心やさしい現代的人物である。
アンチゴーヌは処刑される間際に兄たちの真相を知り、自分の死には意味がないと思いつつも、死んでいく、実存主義的な性格を持たされている。不条理ゆえの死。日常忌避。自己の存在と他者へ突きつける「否」

アンチゴーヌの思いは、ネガティブで繊細な感性の若者なら痛いほどの共感をおぼえるだろう。

そこには答えがない。ギリシャ悲劇なら神のせいにしてしまえるが、現代劇では、ひとりひとりの登場人物がどう考え何を思ったか、どう選択したかを、仔細に見ていくことになる。あらゆる方面からアンチを突きつける、そして自分で考える。思考のあらゆる可能性が提示される。

答えは出ない。ただ、観客は、観る前と観た後とでは、確実にちがう何かを自分の中に感じとるのだろう。

好みでいえば、わたしはギリシャ悲劇のほうが好きだ。そこに宇宙を感じるから。
『アンチゴーヌ』のような現代不条理劇の、ことばを尽くした懊悩が、今のわたしには遠い。
(が、別役実の現代不条理劇は、なぜ宝物のように思えるのか、それを今ここに語れるほどの知識がない)

ところで、蒼井優を観たいから、という理由もあってこれを観たのだった。(むろん、栗山民也演出であるのも理由)
やはり蒼井優が際立っていた。
舞台に現れて、ひとこと発したとたんに、驚異的な才能を感じる役者は稀にいる。が、蒼井優は、(間近に観られたせいもあるだろうが)最初に舞台に現れ歩き出したところで、その驚異的な才を感じた。感情や思考の流れの逐一をセリフにのせ、身体で現していく、鋭敏な感性と、その中にある容量の底知れぬ深さを思った。

そして、直に観てこそ、その外見の美しさにも感動する。首筋から肩、背中に流れる線、手が長く、指の先まで細く優美である。蒼井優が以前「母親が生まれたわたしを見て失敗作だといった」とインタビュー番組で笑いながら話していたが、いやもう、全くそうではなく、細面の美しい骨格で愛らしいのだった。

一度、2メートルほどの間近で、蒼井優とバチッと目が合った。まるでフック船長の鉄の鉤が食い込んできたような衝撃だ。強い調子のセリフをいう数秒間、そのまま目を合わせ続けた。いや、なかなかの格闘だった。

去年、栗山民也演出で観た『フェードル』は、セリフの速さが特徴的でそこに様式美を感じた。今回はそこまで速くはなく、魅力的なセリフを堪能した。ソポクレスとジャン・アヌイの脚本の違いを読み比べてみたら楽しいだろうとも思う。(が、わたしは勉強家ではないので、実現はしないだろう)

(感想を今日急いで書いたのは、明後日、名演の例会があるから。別の演劇を観てから、それ以前の演劇の感想はさすがに書けない)




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風のミランダ

Author:風のミランダ
興味の対象は演劇、映画、文学です。趣味は彫刻、写仏、乗馬など。何十年も生きてきて、話題盛りだくさん、といきたいところですが、あんがい狭い?

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