悲観、楽観に傾かず、水平飛行でまいります。上空、笑い、いささか寒うございます。お乗りのかたは、マフラー、手袋をお忘れなく。
『オン・ザ・ミルキー・ロード』エミール・クストリッツァ監督、主演 
2016年作品 (現在映画館で上映中)

エミール・クストリッツァ監督といえば、1995年カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞作品『アンダーグラウンド』との出会いが最初だった。
以前、このブログで感想を書いた。
↓(クリックすると開きます)
アンダーグラウンド

以来、エミール・クストリッツァの大ファンになった。が、ファンであっても、情報にうとく、その後観たのは、『ライフ・イズ・ミラクル』(2004年)、『ウェディングベルを鳴らせ』(2007年)の2作だけだ。
今回は、映画館でと、友人から情報を得た。
エミール・クストリッツァという名前だけで、もう魔法にかかったように映画館に吸い寄せられていく。予測不能のおもしろさと圧倒的なパワーを求めて。

余談だが、『ライフ・イズ・ミラクル』が上映された頃(正確にはその数年前)、『ライフ・イズ・ビューティフル』というユダヤ人収容所での家族を描いたイタリア映画が話題になった。(ロベルト・ベニーニ監督)
また同じ頃、日本映画では、是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』があの世とこの世の中間世界をノスタルジックに描いていた。

わたしはこの3作が好きで、ライフもの3作として記憶の中で束ねている。

クストリッツァの『ライフ・イズ・ミラクル』は、たしか、ロバが線路にいて自殺しようとしている場面から始まったと記憶している。線路を動くちいさな車、のっけからその動きが魅惑的だった。
クストリッツァの絵はともかく動く。破裂して動く。あらゆる拘束から放たれていくその動きは、自由そのものだ。

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(パンフレット表紙より)

コスタ:エミール・クストリッツァ
花嫁:モニカ・ベルッチ
ジャガ・ボジョビッチ:プレドラグ”ミキ”マノイロヴィッチ
ミレナ:スロボダ・ミチャロヴィッチ

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(コスタ=主人公)
【これ以後、ネタバレあります】

場所は「隣国と戦争中のとある国」となっている。旧ユーゴスラビアの内戦を思わせる設定で、ことばもセルビア語である。
主人公コスタはかつて目の前で父親を殺された。以後、彼の弟は精神病院にはいり、彼自身はロバに乗ってミルクを運ぶ仕事をしている。

パンフレットの表紙にある絵のように、銃弾の飛びかうなかを、ロバに乗り傘をさしてミルクを運ぶ。銃弾を受ければ傘など役にたたないだろう。

精神を病んでいる、というほどでもないが、まともでもない。
そんな彼に恋をしているのが若いミレナだ。

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ミレナは戦争が終われば帰ってくるはずの兄のために、難民収容所から「花嫁」を連れてきた(さらってきた?)

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(「花嫁」=作中では名前がない)

ミレナは兄と「花嫁」と、自分とコスタとの結婚式を同じ日にあげるのが夢だった。

コスタにいい寄るミレナ。ミレナはコスタと結婚することを勝手に決めてしまう。コスタは気がなさそうだ。
じつはコスタは、「花嫁」とはあい通じるものがあった。コスタの思いとは関係なく、ミレナの兄が帰って結婚式の準備は進む。ミレナと「花嫁」と、ふたりのウェディングドレス姿をながめながら、コスタはなすすべもない。

しかし、「花嫁」には事情があった。多国籍軍の英国将校が彼女に惚れ込み、なんとしてでも手に入れたいと特殊部隊を派遣して、「花嫁」を追跡していた。彼女を、生きたままでも、死んでいてもいいから手に入れろと。

コスタたちの村は「花嫁」を追ってきた特殊部隊の襲撃にあう。火炎放射器で村のことごとくが焼き尽くされる。ミレナも、その兄も黒焦げになった。
かろうじて「花嫁」とコスタとが逃げだせた。が、襲撃隊はどこまでも執拗にふたりを追った。

嵐のなか、追い詰められたふたりが抱きあい、まっすぐ上へ飛翔したり、とんでもなく大きな滝を落下していったりなど、あいかわらず、クストリッツァ監督は飛ぶのがお好き。

そしてまた動物も、ロバ、ハヤブサ、蛇、ガチョウ、羊、熊、鶏、犬など多彩で、その活躍もめざましい。
動物は噛みつかないけれど、古い狂った大時計が噛みつく。大時計のチェーンに巻きあげられてしまう人間の上下の動きが、これまた監督一流のもの。
人間も動物も大自然も、機械も! すべてが等価値に生きている。

            ♢   ♢   ♢   ♢   ♢

が、今回すこし気になったのは、地雷でバンバン弾け黒焦げになってしまった何頭もの羊のこと。あれは実写なのかしら。
黒焦げの羊も所詮、人間の食べるモノだとしても、撮影のために殺されるのはどこかの動物愛護団体が黙っていないのでは、とよけいなことが気になった。

『アンダーグラウンド』では、三途の川(?)を、牛が大群であの世の島へ渡っていった。滑稽で皮肉な絵だった。生きているかぎりは捕食するしかないのが人間の性だ。

それはともかく、冒頭で、ばかでかい豚が無理やり小屋に連れこまれたあと、血のバケツが何杯も外にあったバスタブに注がれたのは、物語全体の暗喩だったのか。(その後、豚の丸焼きの料理をしていた)

その血のバスタブに、ガチョウが何羽も飛びこみ、水浴び(血浴び)をする。白い羽が赤く染まっていく。

ところで、今回は、敵が襲撃するだけではなかった。休戦のお祭り騒ぎで、花火があがる。陽気な音楽が奏でられる。コスタも演奏する。昔はミュージシャンだったのだ。
村中の人たちが踊る。若いミレナも踊る。踊りながら花火をあげるのと同じリズムで銃をぶっ放す。いや、それどころか、敵と思しき人物たちをその銃でガンガン撃ち殺す。

主人公コスタも追っ手を素手で殺す。「花嫁」も水中で追っ手を網に追いこんで殺す。

最後の追っ手は地雷で吹っ飛んだが、「花嫁」もまた吹っ飛んでしまった。
とっさにコスタは自殺を試みるが、羊飼いに止められた。「おまえが死んだら、誰が彼女を覚えているんだ!」

17年後、「花嫁」が死んだ地に、石を運ぶコスタの姿があった。17年間、運び続けたのだ。広大な地に一面ぎっしりと石が敷かれていた。

               ♢   ♢   ♢   ♢   ♢

意味の崩壊なんだよな、とその夜、寝ながら思った。
銃弾の嵐、敵も味方もない、そこにいる人も動物も大量に死んでいく。その光景のなかでは、無益な傘をさしているほかはない。

けれど、意味の崩壊の一方で、まっすぐに相手を思う意味の集約がある。生きる物たちへの愛がある。

終章の羊たちの群れのシーンでは、羊が子を産む。破壊と再生。
エミール・クストリッツァの視点はシヴァ神のそれだ。一見狼藉者の須佐之男命のそれだ。
奇想天外、エネルギッシュで滑稽で、でも今回は、しんみりとした余韻を残した。

余談だが、「花嫁」役の女優は50歳くらいで、ミレナ役の女優はそれより17歳若い。コスタ役のエミール・クストリッツァは60歳ほど。ミレナと「花嫁」が並ぶと、さすがに「花嫁」は若くない。
が、クストリッツァは若いミレナではなく、老けた「花嫁」を選んだ。これは嬉しいことだった。

(あ、しかし、「花嫁」は、クストリッツァより10歳も若いではないか)

クストリッツァはいう。
「これで自分の映画人生における紛争のページは確実に終わりになる」と。

破壊のあとの再生。それが具体的にどう展開されるのか、次回作が楽しみである。





















[2017/09/23 16:30] | 映画
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