悲観、楽観に傾かず、水平飛行でまいります。上空、笑い、いささか寒うございます。お乗りのかたは、マフラー、手袋をお忘れなく。
 昔むかし、舞台で『リチャード三世』を観た。といってもたしか、そのときは観るに耐えず、第1幕で帰ってしまったと思う。
 背景についての知識がなかったのがいちばんの原因だが、リチャードの極悪ぶりが単調だったせいもあるのか、今となってはよくわからない。

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(リチャード三世)

『シャーロック』では、超クールなホームズを演じたベネディクト・カンバーバッチである。それが、『リチャード三世』の冒頭では、画面の中央にでてきて台詞をひとこといったとたんに、そのあまりの変貌ぶりに驚いた。シャーロックのかけらもない、まったくの別人、いやしい男になっていたのだ。
 
 リチャード三世は脊柱側湾症である。実際にもそうだったらしいが、シェイクスピアの作品の中ではそれがより強調され、背中の曲がった「醜い男」として描かれている。特殊メークがほどこされた裸の背中をさらして、ひとりでチェスをしている姿は、どこか別の星の人にも思えるほどだ。

 独白が多い。画面の中央、カメラに向かって長い台詞を延々と繰り出す。内容は邪悪なのにじつにリズムがよく、心地よい。このリズムはむずかしい。あまりにテンポが良すぎると、心地よさだけに流れてしまうだろう。底しれぬ邪悪さの厚みがよく表現される間合い、テンポ、その加減がむずかしい。それをカンバーバッチが巧みにこなしている。

 そればかりか、カンバーバッチの独白には、悲しみがある。複合的な性質を表現しうる、その厚みがすごい。そら恐ろしいほどの厚み、深さだ。

 リチャード三世はごく近い身内に限っても、謀略でふたりの兄を仲違いさせ、殺し、7歳ほどの甥をふたり殺し、妻を殺している。すべて自分が王になるため、そして王座を守るために。

 リチャード三世は、なぜそこまでして王座に固執したか。それは独白によれば、醜いがゆえ女に愛されず、権力を持つことにしか楽しみが見い出せないからだ。

 しかも彼は、母親にすら忌み嫌われていた。
「おまえは胎内にいるときから邪悪だった。産むときも恐ろしい苦痛をわたしに味わわせた。醜く、子供の頃から暴力的で、ずる賢かった」とまで、母親にいわれるのだ。

 女に愛されない、母親にすら愛されない。その孤独と苦痛、悲しみが彼の根幹にあるために、彼がいかに邪悪であっても、かわいそうに思えてくる。その哀れさ、悲しみを、何度もいうようだが、カンバーバッチがみごとに表現していた。彼が演じたからこそ、悲しみが実体をもって感じられたのだった。

 ところで、ベネディクト・カンバーバッチの家系図をたどると、実際のリチャード三世のごく近い血縁関係にあたるとのこと。不思議な縁だ。

 この映画で、印象的なシーンのひとつに、三人の女たちの対峙がある。

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左:エリザベス(キーリー・ホーズ)、右:リチャード三世の母セシリー(ジュディ・デンチ)(この二人は嫁と姑の関係)

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マーガレット(ソフィー・オコネド)

 エリザベスは、リチャード三世の兄エドワード四世の王妃であり、マーガレットはフランスから嫁いできた、ヘンリー六世の王妃だ。

 エリザベスはふたりの幼い息子を殺されたばかりである。その息子たちの墓のある森へ、姑セシリーとでかけた。そこで、ふらふらと森をさまよっていた敵のマーガレットに出会う。もはや亡霊のようだ。マーガレットは夫を殺され牢に閉じ込められて以後、狂気におちいっていた。(手鏡をかざし、敵であるリチャード三世やエリザベスなどに、次つぎに不吉な未来の予言をする)

 ちなみに、この三人の女の関係は以下のとおり。
母セシリー:夫をマーガレットに殺され、息子と孫ふたりを末息子のリチャード三世に殺された。
エリザベス:息子ふたりをリチャード三世に殺された。
マーガレット:愛人をセシリーの夫に殺され、夫をリチャード三世とその兄たち(エリザベスの夫)に殺された。

 というわけで、敵どうしの三人は、殺されたことを恨みあうのだが、しかし、愛するものを殺された悲しみは皆同じ、という胸に迫る台詞がある。森の中での苦く悲しい和解のシーンだ。

 フランスからヘンリー七世が、リチャード三世を倒すためにイングランドに攻め入ってきた。 
 迎え撃つリチャード三世は次つぎに家臣の裏切りにあい、血と泥と屍のなかで刺し殺される。

 勝利したヘンリー七世は、エリザベスの娘を妃に迎えた。敵同士の家のふたりが結ばれ、薔薇戦争は集結した。元は4代前の王の息子どうし、甥や叔父とのお家争いにすぎなかったのが、フランスとの100年戦争があり、増えていった親戚どうしの薔薇戦争があり、ようやく平穏になったのである。(その後の歴史については知らない)

 血と泥と屍。『ヘンリー四世Part1』で、雪の中の幻想的で美しくさえあった戦闘は、終章の『リチャード三世』の、赤黒い血と赤褐色の泥と茶色の屍ばかりが、累々とかさなるリアルさで終わった。
 
 その中に歳老いたマーガレットが立ち尽くしていた。周囲は一面屍である。カメラが上のほうへ引いていく。どんどん引いて、マーガレットも、屍も、マッチの軸のように小さくなり、そのすべてが幾何学模様、あるいはその織物にしか見えなくなるまで小さくなり、終わった。

 なるほど、人はすべてこの織物の一部であるのだろう。


 熱い夏は終わった。けれど、現実の夏はまだまだ暑い。もうホント、7月の初めからずっとだもの、この暑さ。名古屋は東日本なのか、西日本なのか、どっちつかずだけど、気候だけは、西日本だなあ、と思う。

 毎年、この時期の楽しみは、ただひたすら最高気温予測を見ること。当たるか、当たらないか、怒ったり、怒ったり、怒ったりしながら、ツンデレの秋を待つ。

 

 



 


 




[2017/08/30 22:10] | 映画
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