悲観、楽観に傾かず、水平飛行でまいります。上空、笑い、いささか寒うございます。お乗りのかたは、マフラー、手袋をお忘れなく。
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(劇団チラシ)
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右端から:藤原章寛(イ・ジュンソプ);高橋美沙(山本方子)
米山実;有賀ひろみ;佐々木愛

3月21日 名演例会
『旅立つ家族』劇団文化座

原作:金義卿
脚色:金守珍、佐々木愛
演出:金守珍(新宿梁山泊主宰)

夭折した朝鮮の国民的画家イ・ジュンソプと、日本人の妻山本方子とその家族の流転の物語である。
(あらすじ)
日本占領下にあった元山(ウォンサン:現在は北朝鮮)の富農の家に生まれたイ・ジュンソプは、1936年、日本へ絵の勉強のために留学し、そこで後に妻となる山本方子(まさこ)と知りあう。1943年(?)ジュンソプは展覧会のために帰国する。
1945年5月、ジュンソプに求婚された方子は単身元山へ渡った。

8月、日本の敗戦で朝鮮は解放されたが、国は南北に分断され、北はソ連、南はアメリカの統治下におかれた。1950年朝鮮戦争勃発。
母親を元山に残し、子供とともに二人は済州島へ逃げのびた。が、結核になった方子は二人の子供とともに日本(東京)の実家に戻る。

その後、ジュンソプは1週間だけ東京の家族のもとに行くが、これが最後の再会となった。帰国して後、ジュンソプは個展を開く。が、心身ともに病んだジュンソプは、1956年、39歳で夭折する。
夫の死の知らせを受けた方子は、正式な婚姻の手続きをしていなかったため、当時国交のなかった韓国へ行くことは叶わなかった。

(感想)
去年名演の例会となった『セールスマンの死』に、身につまされた、という人は多かった。たしかに、勤めていた頃に観たときは、現実の悪夢がのしかかってきたように思えた。
が、現在、身につまされる、ということでいえば、まさにこの『旅立つ家族』がそうであった。

平和な時代に生き、芸術家でもないわたしが、身につまされる、とは不思議な話かもしれない。が、熱中しやすく視野狭窄だった若いときの思いを、ジュンソプの思いにかさねて観ることができるし、わたしのまわりには実際「それしかしない、できない」という芸術家もいた。

戦争のさなか、結婚するために方子がひとり、東京から北九州を経て釜山へ渡り元山へ向かうシーンがある。
語り手の老年の方子(佐々木愛)が、若い方子を見守り慈しむように隣の席に座っていた。
若い方子はジュンソプしか見えておらず、海を渡ることがいかに危険かなど、おそらくまったく気にしていなかっただろう。その若い方子を、老年の方子が隣で見守っている、そのことに涙が溢れてしかたがなかった。
思いつのり熱中するあまりまわりが見えなくて、危なっかしい若い方子、そしてやはり同じように危なっかしいジュンソプ。

方子はなぜジュンソプを愛するのか、熱中するのか。ジュンソプはなぜ描くことに熱中するのか、それのみに没頭してしまうのか。
二人は懸命に生きた、などというものではない。懸命に生きさせられたのだ。人は、熱中することの「なぜ」に、答えられない。おそらくその人に宿された命(めい)は、本人の意志に先行して、自動的に魂のなかで発動し続けるのだ。
その強烈な発動機関ゆえに、つねに対象へ追い立てられる。対象に没入することでしか生きられない。命の奴隷となる。
あるいは、人を愛するのも、芸術の才能も、ギフトというよりは災難といえるのかもしれない。

見守る語り手佐々木愛の慈愛にみちた視線がなかったら、宿命を生きねばならない若い二人の苦痛は、そのまま観客に重く暗くのしかかってきたことだろう。
語り手の視点が設定されたことで、ドラマに豊かな意味がもたらされたのだ。加えて、意匠を凝らした動的な演出が、ともかく素晴らしかった。むろん、若い二人の熱演も忘れられない。

ジュンソプの死の後、彼と方子たち家族が、彼の描いた絵のように祝祭の台車で過ぎて行く美しいシーンがあった。愛も才能も災難であった過去を止揚できるのは、このシーンをおいて他にない。ギフトがギフトであるための経験は苦いが、その途上の甘美さもまた確実に存在する。

それにしても、朝鮮戦争は休戦であって、終わってはいないのだ。朝鮮の歴史や人々の生活を知ることができたのも有意義だった。




[2017/03/30 13:55] | 演劇
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