悲観、楽観に傾かず、水平飛行でまいります。上空、笑い、いささか寒うございます。お乗りのかたは、マフラー、手袋をお忘れなく。
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感想を書きたかったTVドラマがいくつかあって、たとえば『逃げるは恥だが役に立つ』、それと同じ時期に放映された『プリンセスメゾン』
もっと以前にもいくつかあったが、思いだせなくなってしまった。

『プリンセスメゾン』は、特別好きなドラマというわけではなく、ラストの、アパートの大家役の渡辺美佐子のセリフが鮮やかに印象に残ったのだった。
年老いた大家は長い白髪はぼうぼう、いつも端切れをつなぎ合わせたようなゾロゾロの服を着ている。大家というより、ホームレスの風体である。
ドラマが終わりに近づいた頃、彼女は染色が趣味(仕事?)だということがわかってくる。

ということは、彼女は自分の染色した作品を身にまとっていたのだろう。
染めた布を河原に干して彼女はいう。「(作品が)いずれ屑になるとわかっている。屑になっても、今はこれをやるしかないんだ」

ドラマの主人公は大家ではなく、マンションを買おうとしている若い女性だ。居酒屋で働いていて、それほど収入があるわけではない。ゾロゾロの風体の大家の経営するボロボロのアパートに住んでいて、マンションを買うことだけが夢だ。

ふつうなら、叶いそうにない夢だが、彼女の熱意に打たれて、不動産業者が利益にもならないのに応援する。

妙な運びと雰囲気で、静かに進行するドラマだった。
主人公の女性は、ドラマが終わりに近づく頃から大家の老女に共感していき、自分が求めるものは本当は何なのかに気づいていくようだった。

主人公に共感することはなかったが、毎週ビデオに撮って見ている家人のおかげで、見るともなく見続けていた。

そして、最後に大家の老女のことばに痛く共感したのだった。
「いずれ屑になるとわかっている。それでも今は、これをやるしかないのさ」
直後に流れた歌も、猥雑な街の風景をバックに「この世のすべての屑野郎」みたいな騒がしい歌詞で、やはり痛く共感したのだった。


『逃げるは恥だが役に立つ』
個人的に、死につつあった父の、その不条理を、つくづく思い知らされた後だったので、
理詰めで進めていく二人の関係が、じつに気持ちよかった。

人は最後を選べない。どういう病気になるかわからないし、どういう具合に死んでいくかも選べない。いや、選べないのは最後だけじゃないのだ、ほとんど何も選んでいない。選んだように錯覚しているだけなのだ、とさえ思えてくる。

「自分の船の舵は自分でとる」生きかたが、自立していて責任感に溢れていて、すばらしいと思われている。それは一面そうであるだろう。しかし、それが錯覚だったと、ずっと後になって気づかないとも限らない。
病気や老衰で自由を奪われてなお長く生きねばならないとき、どうやって自分で自分の舵をとれるのか、そんなことを寝たきりの父を見ながら考えていた。

不条理。こいつはやっかいだ。
不安そのものだ。

だからこそ、ドラマでは、不条理そのものであるかもしれない恋愛や結婚、その関係を、すべて理屈で処理しようとしていく試みそのものが痛快だった。
たとえばチェスや将棋、囲碁のように、人との関係性を、きちんと理詰めで構築していく、その気持ちのよさ。

ときおり、理屈がリアリティを失って妙なほうへ逸れて屁理屈になる、その一歩手前で、整合性のある理屈に引き戻す、そのバランス感覚もよかった。

ドラマが終わってしばらく経つと、あの理詰めの関係構築をした若いふたりはアンドロイドだったのだ、と思えてきた。
生身の人間だったのは、不条理そのものを体現していた石田ゆり子と歳下の彼。
原作では25歳下、ドラマでは17歳下の設定である。

現実では女性のほうがかなり歳上、というのはあまり例がない。思いうかぶのは、マルグリット・デュラス。(記憶違いでなければ)
日本では、漫才師内海桂子。

デュラスの相手はたしか熱心な読者で、内海桂子の相手はマネージャーだ。
おそらく、相手の男性はふたりとも、この『逃げ恥・・・』のように超モテ男というわけではない気がする。
そこのところが、ドラマのこれはありえない、と思える点だが、それでもリアリティがあると思えたのは、歳上女の心情だった。

相手は超モテ男なのだ。アラサーの超モテ男が、何でまたよりによってアラフィフの女に、と思うのだ。10年経ってごらん、こっちはアラカンで、あっちはまだ花のあるアラフォーだよ。
20年経ったら、こっちは死んでいるかもしれないよ。
ま、死んでいれば、悩まなくていいわけだけど。

イケメンの20歳下の彼は、何もわたしじゃなくっても、いくらでも若い彼女と縁があるだろう。いつか、かならず離れていくだろう、捨てられるだろう。そのとき、わたしは生きていけるのか。

・・・というように、つい自分だったらどうする、と現実には起こりえないことで、あれこれ悩んでしまったのだ。これ、リアリティありすぎ。

ところで、最終回で、夫ヒラマサが、ミクリにいう台詞。
「何でもめんどうくさいということにすると生活できなくなる。めんどうくさいことでも、ひとつ、ひとつ物事に対処していかなくてはならない。それをぼくと一緒にやっていこう」(かなり時間が経っていて記憶が曖昧だが)
これも心に響くことばだった。

で、『プリンセス・メゾン』と『逃げ恥・・・』の、最後の台詞は同じような意味あいにとれるのだ。
つまり、今、この瞬間を生きましょう、ということ。
 
『カルテット』を観ながら、ひとつ気がついたことがあった。
『逃げ恥・・・』には悪意が存在しない。意地悪な人や悪人が登場しない。だから気持ちよく観られた。悪意の存在するドラマは、それがドラマを活性化させる触媒であっても、わたしは苦手だ。

さて、これでやっと『カルテット』の感想にはいれる。
が、これだけ書いて疲れてしまったので、次回へ続きます。










[2017/03/22 16:30] | TVドラマ
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