悲観、楽観に傾かず、水平飛行でまいります。上空、笑い、いささか寒うございます。お乗りのかたは、マフラー、手袋をお忘れなく。
ゴーギャンといえば、かならず思いだす人がいる。
が、そのエピソードは後にして、まずは真面目に、ゴッホから。

3月3日
ゴッホとゴーギャン展。チラシはゴーギャンの絵。

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チラシ

20年ほど前に、ゴッホ展を名古屋市美術館で観た。
そのときは、麦畑の絵に至福をおぼえて涙ぐんだ。麦畑を描いているときのゴッホは、至福に満たされていた、と思った。今回はその絵はなかった。

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「収穫」(カタログより)

↑「他のすべての作品を完全に圧倒する」とゴッホが称した自信作。
うねるような筆触の絵が多いなかで、これは静謐に満ちている。均衡があり完璧であると感じる。

が、人工的でありえない風景だとも感じる。至福を感じる手前で、胸騒ぎがする。得体のしれない思い。たとえば叫び続けていた人が、不意に大きく目を開け口を開けたまま、声を閉ざして内側世界にはいりこんでしまったような、その内側世界の、複雑な感触をおぼえる。時間が止まっている。ありえない。この世界の次元ではない。涙ぐんでしまうのは、その一瞬の均衡がおそろしいからなのか・・・。

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「公園の小道」(カタログより)

ゴッホ自身の自信作より、会場ではその隣にあった「公園の小道」が、わたしは好きだ。森の奥のほうに射す光に安堵する。なんという空間感とも思う。こういうわかりやすい絵が技術的にもすごいと思う。いつまでも浸っていたい絵だ。

さて、ゴーギャン。
ゴーギャンといえば、かならず思いだす人がいる。
中学の美術の教科書にゴーギャンの「タヒチの女」の絵が載っていた。
そのうちのひとりの女の顔が、同級生の男子にそっくりだった。これは同級生のなかでは有名な話だ。誰もが、「あ、Yさん」と言ってクスッと笑った。

日焼けしていて面長で、背も高く、全体にスラリとした印象。
小学生のときは、習字をよく張りだされていた。細い線の女性的な文字だった。(これがうまいのかな、と思った。わたしの好きな、うまいと思える習字とは違った)

彼はモテた。しかもじゃじゃ馬の、ともかく気の強い女の子にモテていた。その頃、男の子の呼び名はたいてい苗字で○○くん、だったが、彼はその女の子によって下の名前のYに、くん、ではなく、さん、をつけて呼ばれていて、それが通称になっていた。

Yさんとは高校も同じだったが、まったく話をしたことがなかった。関心もなかった。
20歳を少し過ぎた頃に中学のクラス会をやった。そのときにYさんがいて、まったく唐突に、つきあってほしいと言われた。

なんと、不細工なわたしにも、人生でごく稀にこういうことが起こる。
モテる男子に、こんなことを言われたら、そりゃ嬉しいに決まっている。が、わたしは即座に断った。
好きな人がいるから、と。

それは本当にそうだったからしかたがない。好きな人がいて、遠距離で滅多に会えないけれど、いちおうつきあっていた。
が、即座に断ったのには別の理由がある。Yさん、中学までは、たいていお腹に回虫がいたのだ。
たぶん、家で作った野菜を食べていたのだろう。
Yさんというと、モテ男、という麗しい経歴とともに虫のことを思い浮かべてしまう。だから、断った。

虫のことはさておき、ともかく女性的なYさんだった。
男性は、あまりに男性的だとモテない。女性的なところがあるほうがモテる、と何かに書いてあったけれど、そのとおりだと思う。

で、ゴーギャン。
長いあいだ、「タヒチの女」しか知らず、関心がなかったが、ある展覧会でゴーギャンの絵を観て、惹きつけられた。
ゴーギャンだけの展覧会を開催してほしいと思う。が、今回のようにゴッホと抱き合わせで観ると、ゴーギャンの苦悩や複雑な思いが観えてくるようでもある。

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「マルティニク島の風景」(カタログより)

いつまでもここにいたい、と思える世界だ。色が美しくバランスがいい。

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「川辺の女」(カタログより)

木の表現が魅力的。

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「小屋の前の犬、タヒチ」(カタログより)

これは悲しくせつない風景だ。赤い家が悲しい。憧憬が燃えて凍ってしまったような赤に思える。
暗い右下の黒い犬は「わたし」?

全体に、ゴーギャンの絵にはとてもエロティックなものを感じる。いや、エロティックそのものという絵もある。そう観てしまうと、それにしか観えないので、その絵は載せない。

エロスとタナトスの熱い思い。タナトス(死の本能)が熱いか。熱いのである。寂しく、熱い。

そういえば、タヒチの女に似たYさんも、エロティックだったような気がする。色気。その色気が、若いわたしには苦手なものだったのかもしれない。
いや、いろんな理屈をつけても無駄だ。そのとき、わたしは別の人が好きだった。それだけだ。

(「ゴッホとゴーギャン展」愛知県美術館で3月20日まで開催)

[2017/03/07 16:20] | 美術
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