悲観、楽観に傾かず、水平飛行でまいります。上空、笑い、いささか寒うございます。お乗りのかたは、マフラー、手袋をお忘れなく。
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もし1日だけ別の人になれるなら、わたしは椎名林檎になりたい。
自由で特異の感覚を持ち、ミステリアスでセクシー。
あの感覚のなかに漂いながら歌ってみたい。

とはいうものの、椎名林檎の歌を何か歌えといわれたら、ほとんど知っている曲がなくて歌えないけれど。

その大好きな椎名林檎の曲が最後に流れていたドラマ『カルテット』
昨日は感想を書こうとして、つい他のふたつのドラマのことを書いてしまった。あれを書かないと、書けなかった、というわけではないけれど。

それにしても、『プリンセスメゾン』では、不動産会社に勤める生真面目で静かな役だった高橋一生が、一転して『カルテット』では、最初はものすごく悪い男、薄っぺらい浮気性男、こだわりが強すぎて鬱陶しい男、という個性的な役で出現したのには驚いた。それがとても自然だったのも。

ミステリー仕立てでおしゃれで、不思議な雰囲気をまとっていた『カルテット』は、
個性的な4人のそれぞれの背景や生い立ちがあかされていくと、その人が意外にも普通であることがわかってくる。おしゃれな謎に隠されていたのは、共感できる重厚なリアリティだったのだ。
4人の関係が少しずつ良いほうへ変化していったのも、心がなごんだ。

いいなあ、カルテット。3流だって? 関係ないさ。弦楽器をとおして熱い時間を共有できるじゃないか。ひとりぼっちで苦しみ、先が見えない、ということがあっても、苦しむことで成熟してきた己の芸術を、その生を、共有できるんだ。

むろん、カルテットを組むが故の苦しみだってわからないわけじゃないけど。

いいなあ、カルテット。

・・・と、まあ、終始そんなふうな憧れをもって観ていたのだった。

人が、人を受けいれる、共有する、それは本当に素敵なことだ。人間存在そのもののなんというセクシーさ。(昨日は不条理って書いたけどね)

さて、最終回、第2バイオリンさんの最後の決め台詞は、
「夢はかならず叶うわけじゃない。長くやっていれば叶うものではないし、諦めず続けたからって、叶うわけでもない。でも、夢を持ったこと自体は、損なことではなかった」

たしかに、プロの演奏家になりたい、という夢は、そうたやすく叶うものではない。たやすくない夢を持ってしまい、それが叶わなかったとき、人は溢れんばかりの愛が、すでにそこにあることに気づく。

カルテットのメンバーの、成就することのない片思いと夢は、成就することよりもあるいは貴重な、浮遊する時間のことに気づかせてもくれる。
物語のなかで永遠に浮遊するメンバーたち、それはつまりわたしたちの、叶わずともなお共有の夢を見つづけ浮遊する甘い時間の酔いそのものなのだろう。

そう、これ以後おしゃれなカルテットは、わたしたちの記憶のあの街で、楽しく演奏し続ける。なんという記憶の豊かさだ。




[2017/03/23 20:30] | 未分類
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感想を書きたかったTVドラマがいくつかあって、たとえば『逃げるは恥だが役に立つ』、それと同じ時期に放映された『プリンセスメゾン』
もっと以前にもいくつかあったが、思いだせなくなってしまった。

『プリンセスメゾン』は、特別好きなドラマというわけではなく、ラストの、アパートの大家役の渡辺美佐子のセリフが鮮やかに印象に残ったのだった。
年老いた大家は長い白髪はぼうぼう、いつも端切れをつなぎ合わせたようなゾロゾロの服を着ている。大家というより、ホームレスの風体である。
ドラマが終わりに近づいた頃、彼女は染色が趣味(仕事?)だということがわかってくる。

ということは、彼女は自分の染色した作品を身にまとっていたのだろう。
染めた布を河原に干して彼女はいう。「(作品が)いずれ屑になるとわかっている。屑になっても、今はこれをやるしかないんだ」

ドラマの主人公は大家ではなく、マンションを買おうとしている若い女性だ。居酒屋で働いていて、それほど収入があるわけではない。ゾロゾロの風体の大家の経営するボロボロのアパートに住んでいて、マンションを買うことだけが夢だ。

ふつうなら、叶いそうにない夢だが、彼女の熱意に打たれて、不動産業者が利益にもならないのに応援する。

妙な運びと雰囲気で、静かに進行するドラマだった。
主人公の女性は、ドラマが終わりに近づく頃から大家の老女に共感していき、自分が求めるものは本当は何なのかに気づいていくようだった。

主人公に共感することはなかったが、毎週ビデオに撮って見ている家人のおかげで、見るともなく見続けていた。

そして、最後に大家の老女のことばに痛く共感したのだった。
「いずれ屑になるとわかっている。それでも今は、これをやるしかないのさ」
直後に流れた歌も、猥雑な街の風景をバックに「この世のすべての屑野郎」みたいな騒がしい歌詞で、やはり痛く共感したのだった。


『逃げるは恥だが役に立つ』
個人的に、死につつあった父の、その不条理を、つくづく思い知らされた後だったので、
理詰めで進めていく二人の関係が、じつに気持ちよかった。

人は最後を選べない。どういう病気になるかわからないし、どういう具合に死んでいくかも選べない。いや、選べないのは最後だけじゃないのだ、ほとんど何も選んでいない。選んだように錯覚しているだけなのだ、とさえ思えてくる。

「自分の船の舵は自分でとる」生きかたが、自立していて責任感に溢れていて、すばらしいと思われている。それは一面そうであるだろう。しかし、それが錯覚だったと、ずっと後になって気づかないとも限らない。
病気や老衰で自由を奪われてなお長く生きねばならないとき、どうやって自分で自分の舵をとれるのか、そんなことを寝たきりの父を見ながら考えていた。

不条理。こいつはやっかいだ。
不安そのものだ。

だからこそ、ドラマでは、不条理そのものであるかもしれない恋愛や結婚、その関係を、すべて理屈で処理しようとしていく試みそのものが痛快だった。
たとえばチェスや将棋、囲碁のように、人との関係性を、きちんと理詰めで構築していく、その気持ちのよさ。

ときおり、理屈がリアリティを失って妙なほうへ逸れて屁理屈になる、その一歩手前で、整合性のある理屈に引き戻す、そのバランス感覚もよかった。

ドラマが終わってしばらく経つと、あの理詰めの関係構築をした若いふたりはアンドロイドだったのだ、と思えてきた。
生身の人間だったのは、不条理そのものを体現していた石田ゆり子と歳下の彼。
原作では25歳下、ドラマでは17歳下の設定である。

現実では女性のほうがかなり歳上、というのはあまり例がない。思いうかぶのは、マルグリット・デュラス。(記憶違いでなければ)
日本では、漫才師内海桂子。

デュラスの相手はたしか熱心な読者で、内海桂子の相手はマネージャーだ。
おそらく、相手の男性はふたりとも、この『逃げ恥・・・』のように超モテ男というわけではない気がする。
そこのところが、ドラマのこれはありえない、と思える点だが、それでもリアリティがあると思えたのは、歳上女の心情だった。

相手は超モテ男なのだ。アラサーの超モテ男が、何でまたよりによってアラフィフの女に、と思うのだ。10年経ってごらん、こっちはアラカンで、あっちはまだ花のあるアラフォーだよ。
20年経ったら、こっちは死んでいるかもしれないよ。
ま、死んでいれば、悩まなくていいわけだけど。

イケメンの20歳下の彼は、何もわたしじゃなくっても、いくらでも若い彼女と縁があるだろう。いつか、かならず離れていくだろう、捨てられるだろう。そのとき、わたしは生きていけるのか。

・・・というように、つい自分だったらどうする、と現実には起こりえないことで、あれこれ悩んでしまったのだ。これ、リアリティありすぎ。

ところで、最終回で、夫ヒラマサが、ミクリにいう台詞。
「何でもめんどうくさいということにすると生活できなくなる。めんどうくさいことでも、ひとつ、ひとつ物事に対処していかなくてはならない。それをぼくと一緒にやっていこう」(かなり時間が経っていて記憶が曖昧だが)
これも心に響くことばだった。

で、『プリンセス・メゾン』と『逃げ恥・・・』の、最後の台詞は同じような意味あいにとれるのだ。
つまり、今、この瞬間を生きましょう、ということ。
 
『カルテット』を観ながら、ひとつ気がついたことがあった。
『逃げ恥・・・』には悪意が存在しない。意地悪な人や悪人が登場しない。だから気持ちよく観られた。悪意の存在するドラマは、それがドラマを活性化させる触媒であっても、わたしは苦手だ。

さて、これでやっと『カルテット』の感想にはいれる。
が、これだけ書いて疲れてしまったので、次回へ続きます。










[2017/03/22 16:30] | TVドラマ
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前回の記事で、「猪が出た」と書いたけれど、猪豚かもしれない。
今日、ある会報を見ていたら、三河の田舎には猪や猪豚が出るとあった。「猪が出た」南公園は尾張だが、三河に近い。

Wikiによれば、猪豚は猪と豚の交配種で、猪の旺盛な食欲と、豚の人を恐れない性質を持っているとある。

どうりで、すこし離れた木陰で人が、「イノシシだ、イノシシがいる」と話していても、何食わぬ顔で草むらに鼻をつっこんで、何か食うのに熱中していたわけだ。

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↑ 前回の写真を拡大したもの

そう思って見てみると、獰猛な猪よりは愛嬌がある気がする。が、猪も猪豚も、見かけはあまり違わないと書かれている。

目の悪いわたしには、やはり熊にも見える。ただし、熊とは足の太さが違う。それくらいは、わたしにもわかる。

昔、岐阜の山村にある家の庭で、猪を飼っているのを見たことがある。もうすこし色が茶色で剛毛だった気がする。

猪は年に1回の繁殖だが、猪豚はもっと回数が多いそうだ。福島第1原発付近では、家畜だった豚と野生の猪が交配し、猪豚が増えて問題になっているらしい。

ところで、味はどうなのか。猪豚は豚より低脂肪でヘルシーなんだそうだ。三河の山中で迷ったら、猪豚でも殴って飢えをしのごう。
え?・・・あれ? どうして男っぽい文章になっちゃうんだろう。

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↑ 細い足の猪豚? くん。

うちの庭。
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クリスマスローズ
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右の、後ろを向いている花が、上の写真。こっちを向いている花より豪華だ。
この苗は去年買った。たしか、3年経たないと開花しないと説明書にあったが、1年もしないうちに開花した。
まだ葉っぱもちいさいのに。

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一方、↑ これは赤紫のクリスマスローズを移植したもの。葉っぱばかり立派で、今年はじめて開花しなかった。

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うちの薔薇で、今いちばん葉っぱがたくさん出ているのが、新入りのカインダブルー。

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他の薔薇はまだこんな様子だ。

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気の早いチューリップが咲きはじめた。肥料不足なのか、茎が短い。
首を長くして春を待っていたんじゃなかったのか。
春のはじめは、陽射しばかりあかるくて、風が冷たい。



[2017/03/17 20:40] | 散歩・旅(近場)
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南公園に猪がいた。
「あ、猪だ」というので、檻に入れられているのかと思ったら、違うのだった。

まずはもったいぶって、南公園の景色から。

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遠くに名古屋駅の超高層ビル群が見える。

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小高い山の上。

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山の林をおりた場所。(山の中腹あたりか)

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サンタ「何か豚肉のおいしい匂いがしますよ」
いえいえ、サンタはまったく気がついていませんでしたよ。

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ほら、猪。

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猪。そのへんにいた人たちが、猪だといわなければ、熊と思ったかもしれない。
20メートルか30メートルくらい離れていた。iPhoneでいちばん拡大して撮って、この大きさ。

危ないので近づかず、駐車場へ戻っていく途中で、3人の警官が猪のほうへ歩いていった。
ふたりの男性警官と女性警官、3人とも手ぶらだったので、捕獲しようとする意図はないようだった。

犬の散歩の人たちが何人かいた。猪を見に行こう、という人がいたり、いや、危ないからやめよう、といいあったり。

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駐車場にあったパトカー。

自転車の女の子が、「猪見ましたか」というので、写真を見せてあげた。
「うわっ、近い」と、ひとりの子がいい、もうひとりが、
「さっき、自転車の男の子が、チリンチリンと鳴らしたら、猪が追っかけてきそうになったの」
と、いった。

車に乗ってから、夫がいった。
「うまそうな猪だった。今夜は豚を食べたい」
わたし「こま切れしかないから、キャベツと味噌炒めかな」
夫「それでいい」

けれど、今日も風が強くて寒いので、けっきょく豚汁にした。
猪はまだ食べたことがない。



[2017/03/15 22:00] |
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最近、サンタの散歩を効率よくすませたいとき、近くの大きな公園へ行く。
近所を1時間以上かけて歩き回るより、効率よく短時間で用をたしてくれるし、たくさん歩いたように錯覚して、じつに都合が良い。
いや、サンタだって、喜びようが違う。

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↑これは市民公園のいつもは行かない場所。
ちいさな円形劇場だ。
ここへ来たとたんに、また何かいい知れぬ感情にうたれた。

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ほら、このカーブした、段になった観客席。なつかしくてたまらない。
それとも、この円形劇場という形は、エネルギーの集積装置なの?

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舞台のむこうには、電車が置かれている。
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その右側にも電車が。

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ああ、苦しい。生きているうちに、いちどでいいから、トルコやギリシャの古代円形劇場を見たいものだわ。

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サンタ「やれやれ。ミランダの古代円形劇場病ですよ」





[2017/03/14 22:55] |
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